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花火の起源!?東京湾花火大会を鑑賞♪

お香でもてなす香りのある生活。-花火大会1

昨夜は、東京湾花火大会を最高の場所から鑑賞してきました!
オフィスがお台場にあるということもあり、当初はオフィスの入っているビルの屋上から鑑賞しようと思ったのですが、より迫力たっぷりでみたい!と思い、場所を潮風公園に移動して、ゆっくり鑑賞してきました!

実は、東京湾花火大会をこんなに間近でゆっくり見たことが、人生初で・・・、花火のダイナミックさ、美しさには感嘆のあまりだったのですが・・・・、それと同時にすごくびっくりしたのが、人の多さでした・・・ショック!

お香でもてなす香りのある生活。-人の変化

この写真を見てらってもおわかりいただけるように、午前中はそこまで人は多くはなかったのですが、本番開始直前になるにつれて、もうワイワイガヤガヤアップ状態で・・。花火が始まる19時前には、もうこの④の写真以上に人が溢れていて、まるでここはディズニー?!と一瞬思ってしまうぐらいでした。。!
#ついでに・・・、アクアシティー内にあるローソンに入るためにも、コンビニなのに!!!長蛇の列を並んだ上で、ようやく中にはいれて、そしてまたレジに並んでようやく購入。 もちろん・・・お手洗いは・・・もう・・・・・ショック!

こんなにも多くの人を集める花火大会は、本当にすごいなぁ~~~~~と感心してしまうばかりで。

でも、そもそも花火ってどこで始まったのか・・・気になったりしませんか?
私は、ついついこれだけ日本では風物詩にもなっているだけに、日本生まれなのかな?!と勝手に考えてしまっていたのですが、調べてみたら違いました・・・。

花火は、中国で生まれ(誕生した年は、諸説あるみたいなので私自身どれが正式かがわからず)、祝祭のときに使われる爆竹がルーツとされているそうです。 その後、中国(南宋の時代)では、錬金術や、不老長寿の薬をつくろうとする煉丹術の副産物として火薬の発明がされ、火薬の構造の基礎がつくられました。その後、アラビア商人により、イスラム諸国に渡り、戦争に利用されたりしながら、ヨーロッパへ伝わる。

その後、現在のような色鮮やかな打ち上げ花火は、フィレンツェで行われたとか。

そんな経緯をもつ花火がようやく日本に伝来してきたのは、戦国時代のころ。その後江戸時代に入り、江戸の町文化に支えられて、その技術も大きな発展をあげできました。

現在のような季節の風物詩としての花火大会のはじまり、1733年、飢饉と疫病で多くの人がなくなったことをうけて、八代徳川吉宗将軍が慰霊と疫病祓いの祈りをこめて、5月28日に両国大川(現在の隅田川)の水神を祭り、大規模な花火大会を行ったことがきっかけだったそうです。以後毎年、この日は両国の川開きの日、花火の上げはじめの日と定められました。

そう知って、あらためて振り返ってみると、あの花火一つ一つが、祈りをこめられてあげられていると思うと、とても感慨深いですね。

来年も、ぜひ、またゆっくり花火を鑑賞したいものです!

お香でもてなす香りのある生活。-花火大会2

但し、東京湾花火大会をゆっくり鑑賞されたい方は、19時開始の4時間前には場所とりをされておくことをお勧めしておきますべーっだ!

七夕の日に、お香を焚きながら夜空を眺める

7月7日!
ラッキーセブンが連なる今日は、「七夕の日」です。

皆さんは、もう短冊にお願いごとを書いて笹の葉に飾りましたか?
私は・・・ばっちり!! 思いを一杯こめて、秘めたる願いを短冊に書きました。

でも、毎年何気なくこうして七夕の日を迎えては、織姫と彦星が無事に会えるように・・と思いながらも、短冊に願いを書いてルンルン♪とした気分で一日を終わらせてしまっていると思いますが・・・、今年はきちんと七夕の日ならではの、和ごよみの生活を意識してみたいと思います。

と思って・・・・ふと空を見上げてみると・・・・、生憎の雨模様雨
ここ東京には、分厚い雨雲が覆っていて、天の川をみることができず。。
七夕の日に降る雨のことを『酒涙雨(さいるいう)』と呼ぶそうです。

一年に一度、ようやく会えると楽しみに思っていても、この無情な雨が逢瀬を流してしまう。
だから、彦星に会えずに泣いている織姫の涙が、しずくとなって、天から雨が降っているのでしょうか。

うぅ・・・いくら神話といえども、今日この日が七夕としているのが、残酷だなぁと思っていたのですが、
本来の七夕は、旧暦7月7日。 新暦でいえば、ちょうど8月ごろであると考えれば、
やっぱりロマンチックな夜なんだなぁと思いました。 満月

このロマンチックな?いや、離れ離れにされているということもあって・・・ある意味酷な彦星と織姫のお話は、中国から伝わってきたものだそうです。

もともと、古代の日本では、本来はお盆の一週間前にあたる旧暦7月7日に、水辺に棚を建てて機織りの巫女たち
が神の御衣を織る禊ぎの祭事が行われていたそうです。
この乙女たちは棚機女(たなばたつめ)と呼ばれており、そのイメージが奈良時代に日本に入ってきた織姫彦星伝説と結びついて今の七夕行事につながったと言われています。

この織姫彦星伝説とともに中国から日本に入ってきたといわれているのが、『
乞功奠(きっこうでん)』という中国の七夕行事があります。

これは、機織りの達人である織姫にちなみ、裁縫の上達や管弦、詩歌などの上達を祈る行事だそうです。
当時は、機織りや裁縫が上手ということが、女性としての大切な素養の一つでした。(今の私には、大きく抜けている素養です。。汗)

この行事では、織姫にちなみ五色、金、銀に彩とられた美しい絹糸や、珍しい和琴や琵琶、龍笛などの楽器、梨や桃、きゅうりなどの果物や野菜、季節の花が飾 られた飾り棚が用意されるそうです。
供え物の和琴等には、管弦の上達を願い、季節の果物や穀物には天の恵みに感謝という思いで供えるそうです。

この飾り棚は、古く宮中では東の庭に筵(むしろ)を敷いた棚を建て、飾り棚の前で香炉を焚きキラキラ、星を眺めながら星空管弦や詩歌の宴が開かれていたそうです。

なんとも風情のある光景ですよね。流れ星当時の古の人々は、それぞれ織姫彦星が無事に会えているかを思いながらも、目の前で繰り広げられる宴にひと夏の夜を過ご していたんですね。 

お話によると、この飾り棚の真ん中にある盥の水の上に浮かべられたのが、梶の葉だったそうです。この葉に墨で和歌を書いて二星にささげていたそうです。こ れが、今の短冊のツールでもあると言われています。

今宵、新暦ではありますが、お香を焚きながら夜空を眺めてみてはいかがでしょうか。 分厚い雲の上には、きっと満天にきらびやかになっている天の川で彦星 と織姫が一年ぶりの再会を楽しんでいる姿を想像してみるのも、いいのでは。女の子キラキラ

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